となりの芝生の向こうがわ

主に腐っています。はじめての育児に奔走しながらブログ書いてます。

人との付き合い

結婚して見知らぬ土地で生活を始め、子どもができると周囲に知り合いがいないため、孤立してしまいがちになる。

 

そういうことが定説らしいんですが、この時にいわれる知り合いって、小中学校の同級生とかのことだと思うんですけど。たぶん。大体、周囲に知り合いがいるというのは、同じ学区で登下校していたくらいの頃だよなあと思いました。

地元で就職して働いて、結婚してというならまた別かもしれないんだけど、私の場合、高校は隣町の高校に行かせてもらって、大学は都内まで通っていたので、小中学校の同級生で、密に連絡を取っている子がいないのです。

 

小中学校時代にあまりいい思い出がない私としては、連絡を取れなくなっても全然気にしないし、別にそういう知り合いだったらいらないなあと思ってしまいます。

今は、周囲に知り合いのいない状況だし、仮に知り合いがいても私の学生時代をあまり知らない人なので、とても気が楽です。普段連絡を取り合うのは大学時代に知り合った友人たち数人だけです。

 

 

私が小中学校時代を忌み嫌うのは、スクールカーストのせいです。今でこそそんな名前があることを知りましたが、限られた枠組みの中にいると、人はマウントを取りたがるものですからね。マウントを取られてばかりの学生生活でした。

スクールカーストが発生するのは、人が集まるところだとしょうがないことだと思います。で、その中には少なからず被害妄想が入り混じります。むしろ私は被害妄想がひどいのかもしれません。被害妄想がひどいから、人目を気にする。だから、〇〇ちゃんやあのグループは私のことを見下している気がする。こういうことを誰もが思っていたり、思わされていたりすることで学校のクラス内の目に見えない序列ができてしまうのかな、と大人になってから思いました。

 

引っ越しをする際、転居届を出しに市役所に行ったときに、中学校の時の同級生と会ってしまいました。どうやら、市役所の職員さんになられていたみたいで、気さくに声をかけてくれました。「きれいになったね!」と。

私、冷や汗が止まりませんでした。その子に悪いことをされたとか、いじめられたとか、特別なんにもないんです。そもそも会うまで顔さえ忘れていた子です。久しぶりに会った同級生に声をかけてくれただけなんです。ほめてくれたんです。それなのにです。この言葉って、私を下にみていないと出てこない言葉だよなって思ってしまったんです。我ながらひどい。

こじらせてるなあと思うんですが、子どもの頃は劣等感に包まれて、雁字搦めになって生活していたので、もうずっとそれを引きずってしまっているんです。

 

 

とまあ深刻そうに書きましたが、小中学校時代の友人と連絡は取ってないので、こじらせを引きずりつつも、娘可愛いと思っていればどうとでもなる境地にたどり着いてます。いいんだか悪いんだか。